「トヨタ車を世界一に」と奮闘した若き日々

「想いを高く抱け」。これが、棚橋が若いエンジニアたちに事あるごとに伝える言葉。棚橋自身が抱くクルマづくりへの想いをたどっていくと、そのルーツは少年時代にまで遡ります。

私は、子どもの頃からクルマが大好きで、中学時代にはすでにクルマの専門誌を購読していました。趣味というより勉強という感じで、隅から隅まで何度も読み返していましたね。凝りに凝ったプラモデルづくりを通じて、特に足回り(サスペンション)など走行性能に強い関心をもつようになりました。当時、雑誌などでトヨタ車の足回りが酷評されることが多く、ならば「自分がトヨタ車の足回りを世界一にしてやろう」と思った“若気の至り”がトヨタ自動車へ入社した動機でもあるのですね。

入社時の面接で、そんな思いの丈を熱く語った棚橋は、幸運にも足回りを担うシャシー設計部署に配属となります。

シャシー設計に在籍した14年間は、クルマの足回りの基礎を徹底的に学んだ時代でしたね。自分で走らせながら、「なぜブレーキを踏むと前にのめり込むのか?」「なぜハンドルを切ると外側にロールするのか?」というような基礎的な原理や理論を徹底して追究しました。
次に異動したボデー設計では、サスペンションフレームの設計を任されました。ここでは仕事の合間を縫って、たとえばドイツの競合車を分解したボデーシェルをつぶさに研究したり、秘蔵資料を探しだして読み込んだり、多くの新しい知識を吸収できた貴重な時代でした。足回りからクルマ全体に関心が広がり、“自分でクルマを企画したい”という強い想いを抱くようになったのがこの頃ですね。

若き日の棚橋にとって、かけがえのない財産となったのが1983年に2カ月間出張した欧州での経験でした。

入社5年目の生意気な若造だった自分を「2カ月間ヨーロッパで、いろんなクルマの走りを好きに勉強してこい」と当時の上司が送り出してくれたのです。
この出張は、到着したベルギーのザベンタム空港から、現地駐在員のクルマでファクトリーへ向かう時点から驚愕の連続でした。日本とは比較にならないほど充実した高速道路に目を見張り、考えられないスピードで駆け抜けるクルマたちに強い衝撃を受けました。
それから2カ月。毎日毎日アウトバーンはじめ欧州を走りまわる中で、「ここは日本とはクルマに求める性能の次元がまったく違う」ということを強く実感しました。欧州では、操縦する人の感性に響く性能も非常に大切にされている。だからクルマがいきいきとしているのだなと。

世界を驚かす、スーパースポーツをつくろう

「挑戦して、失敗し、挫折し、また挑戦を重ねて」。棚橋はLFAの開発をこのような言葉で語ります。その挑戦の系譜が始まるのは1995年。棚橋は先行企画部署に異動となり、“自らのクルマづくり”に着手します。

開発統括として最初に手がけたのは、小型のFRスポーツカーでした。発端は、自分が小さくてキビキビ走るクルマが好きという理由から。“自分が感動するクルマならお客様も乗りたいと思うはずだ”という信念から生まれた企画でした。実際にテスト車を1台つくりパッケージングまで設計し、準備万端でプロジェクト提案の会議に臨んだのですが、見事に失敗。当時はちょうどMR2やセリカがモデルチェンジしたばかりで「似たような小型スポーツカーは…」という理由でボツになりました。これが最初に味わった大きな挫折ですね。

さすがに強気の棚橋もしばらくは落ち込んだそうです。しかし、すぐにクルマづくりへの想いが復活します。「ならば大きなスポーツカーに挑戦してやろう」と新しい企画開発をスタート。しかし、道のりは平坦ではありませんでした。

こうしてLFAの開発が始まったのは2000年のことです。しかし、先行開発のひとつとして取り組むテーマということで、当時はいつボツになってもおかしくない状況でした。開発チームのメンバーは「世界に誇るスーパースポーツをつくってやろう」と自主的に集まったエンジニアたち。正直、危機的な状況に直面したのも2度や3度ではなかったですね。自分の想いだけでなく、仲間たちの想いを叶えたいというプレッシャーは重低音のようにずっと感じていました。
LFAが正式な開発プロジェクトとして承認されたのは2005年でした。私ひとりで決められなかったのは、V10エンジンとCFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastics)のボデーを開発することくらいだったと記憶しています。技術担当の副社長から「あとは一切、君の好きなようにやれ。その代わり、やるのだったら徹底的にやりなさい。世界が驚くようなスポーツカーをつくれ」と言われました。この言葉は決して忘れることはできないですね。

未知の領域で、挑戦・失敗・挫折を重ねて

こうしてプロジェクトはテイクオフし加速していきます。LFAには2つの象徴的な先進テクノロジーが搭載されます。新開発のV型10気筒4.8Lエンジンと、高剛性と軽量化を両立するCFRPボデー。しかし、打ち破らなければならない壁は至るところにありました。

LFAは、これまでトヨタ自動車が経験してきた世界とは、まったく次元の異なるクルマです。ですから、開発すべてが挑戦・失敗・挫折の繰り返しでした。たとえばクラッチ。乾式単板クラッチという何十年も使われている完成された技術なのですが、それを9000rpm以上まで回すエンジンにマッチングさせるとなると根本の素材や構造から見直す必要が出てきてしまう。すでに確立されたはずの技術でさえ万事がそんな調子だったのです。V10エンジンやCFRPボデーの開発では、予想を遥かに超えた苦難が私たちを待ち受けていました。

理想とする性能を獲得するために、LFAの開発は、世界一過酷なドイツのニュルブルクリンク北コースを徹底して走り込んで進められました。時には棚橋自身がテスト車のステアリングを握ることもありました。2008年には同コースで開催された24時間耐久レースに開発車を出場させて、極限状態での性能を確認、開発は力強く前進していきます。プロジェクトを突き動かすエナジーは、エンジニアの想いにほかならないと、棚橋は言葉を強めます。

トヨタ自動車には長年にわたって蓄積してきた設計の手法や基準があります。それは確かに素晴らしいのですが、LFAの開発では「基準にとらわれるな、その価値観を乗り越えろ」とエンジニアたちに言い続けました。エンジン回転9000rpmオーバー、最高速度325km/hというLFAが目指す世界は、トヨタ自動車では誰も体験したことのない未踏の領域です。つまり過去にこだわっていては、大きな壁を突き破ることはできません。では、いったい何を基準にすればよいのか? それは「想い」でしかないのです。私は、クルマというものは走行性能と官能性能の2つがあってこそ成り立つものだと考えています。走行性能は様々な技術の積み重ねによってつくられますが、官能性能は、エンジンのレスポンスにしろ、サスペンションの感覚にしろ、最終的にはエンジニアの“自分はこうしたい”“こんなクルマをつくりたい”という強い想いからしか生まれないと思うのです。
私は、乗る人の気持ちが昂るクルマ、感動できるクルマをつくりたいという理想を掲げてLFAの開発に挑みました。同じ想いをエンジニアたちにも抱かせ、それをひとつにして、決して妥協することなくゴールまで走りきること。私はそれこそがCEの役割だと思うのです。

クルマはエンジニアの想いを超えられない

そして2009年10月、LFAは10年の歳月を経てデビュー。発表とともに世界中から予約が集まり、限定500台という生産リミットは瞬く間に一杯になりました。2010年から専用の元町LFA工房で生産がスタート。熟練職人の手作業で1日1台というペースで組み立てられています。棚橋は、次のようにLFAプロジェクトを振り返ります。

2005年にプロジェクトが正式に承認された時でした。2人の副社長から「トヨタ自動車はLFAのようなエモーショナルなクルマをつくれる会社でなければならない」と言われたことを今も鮮明に記憶しています。
突き詰めていけば、一人ひとりのエンジニアにとっても同じだと思うのです。エンジニア自身が感動するような仕事をしなければ、お客様を感動させるクルマはつくれません。私は若いエンジニアたちに事あるごとに「想いを高く抱け」と伝えてきました。エンジニアの想いを超えるクルマは生まれない。決してクルマはつくり手を超えられないのです。

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