困難であればあるほど燃える。
そして、いい結果がでる。

2014年11月18日、トヨタは燃料電池自動車(FCV)「MIRAI」を、日本、米国、欧州で同時発表。その舞台でプレゼンテーションを行ったのが、MIRAIのチーフエンジニアの田中でした。

MIRAIを世界初の市販化FCVとして生み出すには、想像もつかないような困難な道のりでした。でも、私はチャレンジする壁が高ければ高いほど、燃えるんです。これまでのキャリアの中で「大変なときほど、終わってみればいい結果が出る」という体験が、そうさせるのかもしれません。私がトヨタに入社したのは1987年。最初に配属されたのは、ドライブトレーン(駆動系)の部署でした。そこでCVT(無段変速機)の制御技術やハード開発を担当。新人の頃はとにかくガムシャラに取り組みました。厳しい先輩の影響もありましたが、純粋に仕事がおもしろかったんですね。学生時代はいい加減だった自分が、こんなにやれるとは(笑)。6年ほどたったころ、一人前としての自覚も芽生えて「さあ、これから」という時に、人事異動が。

田中が異動したのは開発部署ではなく「労働組合」。エンジニアにとっては、まったくの畑ちがい。当初は戸惑いを感じた田中だが、この経験が田中の視野を大きく広げるきっかけとなる。労働組合では、働く人の生活の質を向上させるために国の制度面などの改善を訴えていく“政策制度”を担当。組合員に「何のためにどんな政策が必要か」を伝えるべく、識者によるセミナー企画など、田中は新たな試みに次々とトライしていく。 そして、何より大きかったのは、製造現場の人たちとの交流。エンジニアとして頭でっかちになりかけていた田中は、実際にものをつくっている現場の人たちが常に「いま以上」を目指し、改善を続けている姿を見た時、「決して現状に満足しない現場があるからこそ、トヨタはいいクルマを生み出し続けられるんだ」と気づかされた。

田中さん、前向き地獄ですね(笑)。

そして、1997年に元の職場へ異動し、ヴィッツのAT(オートマチックトランスミッション)を担当した後は2006年までの間に、マネージャーを経験しました。いいクルマをつくるために、「正しいと思ったことを本音で話す」、「常に前向きに取り組む」という姿勢でメンバーと接するよう心がけました。最初は、考え方の違いから激しくメンバーと衝突したり、「前向き地獄ですね」なんて若手メンバーに言われたり(笑)。でも、最後は本音で語り合えるとてもいいチームになったんですよ。特に一番衝突していたメンバーが、私が異動するときに「視野が狭かった自分が成長できたのは田中さんのおかげです」と言ってくれた時は、本当にうれしかった。仕事もチームも同じ。大変な想いをしてぶつかり合ったからこそ、最後はいいチームになったのだと思います。

2007年、製品企画本部へ異動。入社から20年。田中は入社当時あこがれていたチーフエンジニアとして“プリウスPHV”の製品企画を担当することになります。“充電できるプリウス”として、新たなユニットを搭載。価格面や性能に高いハードルを掲げ、開発に取り組みました。2011年のモーターショーでプリウスPHVを発表。関係者の注目が集まる中で、もう1台注目されるクルマがありました。それがトヨタが開発した“FCVR”と呼ばれる燃料電池自動車のコンセプトカーでした。

デザイン、乗り心地、ワクワク感、
すべてに未来を。

2011年12月6日。プリウスPHVの開発を終えた直後、田中は上司から声をかけられました。「次はFCVをやってくれないか」と。「え、私が、ですか」。思わず驚きの声を上げた田中。これまでにないクルマだけに困難極まることは十二分に予想できた。しかも2014年の発表に向けて、残り時間もわずか。しかし、困難な事ほど燃えるのが田中の真骨頂。「やります、やらせてください」。

2012年の年初から、全力疾走しなければならない状況でした。具体的な企画も固まっておらず、水素ステーションなどのインフラがどうなるか政府や業界の動向もはっきりしない。前途多難なスタートでした。最初の4か月はイメージ構想を固めるために、議論を尽くしました。その中で車両コンセプトとして打ち出したのが“H2 Pioneer for the next Century”。そこには「自動車の次の100年のために水素社会の先駆者となるクルマ」をつくりたいという想いを込めました。FCVだから環境性能が高いのは当たり前。でもそれだけではお客様を笑顔にできません。誰がみてもカッコいいと思うデザイン。これまでにない楽しさを味わえる走り心地や乗り心地など、「FUN TO DRIVE」が絶対に欠かせない。すべてにおいて徹底的にこだわらなければ、「次の100年のためのクルマ」にはならないのです。やるからには、もっといいクルマにしたい。常に「いま以上」を求めるトヨタの風土が、自然にハードルを高くしていってくれたのです。

水素社会の先駆者となるクルマ」をつくりたいという想いを込めました。FCVだから環境性能が高いのは当たり前。でもそれだけではお客様を笑顔にできません。誰がみてもカッコいいと思うデザイン。これまでにない楽しさを味わえる走り心地や乗り心地など、「FUN TO DRIVE」が絶対に欠かせない。すべてにおいて徹底的にこだわらなければ、「次の100年のためのクルマ」にはならないのです。やるからには、もっといいクルマにしたい。常に「いま以上」を求めるトヨタの風土が、自然にハードルを高くしていってくれたのです。

空気を取り込むフロントの大胆なグリル。水の流れをイメージしたサイドビュー。未来モビリティを象徴するインパネなど、これまでにない斬新なデザイン。また、燃料電池と水素タンクの配置やボディ剛性に工夫を重ね、安定した操縦安定性とハンドリング性能により、“まるで氷の上を滑るような”未体験の走り心地。それは困難の連続の中で、何とか課題をクリアしようと挑戦を続けてきたデザイン陣や技術陣の成果でもあった。

次の100年に向けて、1992年からトヨタはFCVの開発を始めました。20年以上、FC技術の研究をしてきた人たちがいるんです。彼ら彼女らがいたからこそ、トヨタが描く「サスティナブルなモビリティ社会」への一歩が踏み出せたと思います。また、量産化するには、とてつもなく精巧な生産技術や材料技術などが不可欠です。現場の執念があったからこそ、2014年内の製品化を実現することができました。私がやってきたことは、みんなのモチベーションが上がるようとことん話し合いながら、前進していくことです。私は連綿とたすきをつないできたFC技術を世に出すため、最終区間のまとめ役を全うしたのです。発表会が終わった後、「田中さんがいなかったら、私たちのFC技術は世に出なかったかもしれない。ありがとう」と言われた時は、胸にぐっとくるものを感じました。

水素社会の実現に向けて
変革の第一歩を。

単なる新しいクルマではなく、新たな水素エネルギー社会の実現に向けて、その第一歩を飾ったMIRAI。田中は「MIRAIをきっかけに、10年後20年後、今から想像もできない世界が広がる可能性がある」と言います。

もともとトヨタには「産業報国」といって、「クルマづくりを通して、社会に報いたい」という理念があります。資源を持たない日本にとって、水素はクリーンな未来エネルギーになり得ます。もしかしたら水素発電によって安定した電力を供給することができるかもしれない。でも水素は怖いとか、経済合理性が見えないといった声も少なくない。だから水素社会の実現に向けて、まず誰かがその一歩を踏み出さなければならない。それが、私たちトヨタの、MIRAIの役割だと私は思います。MIRAIがきっかけとなり、サクセスストーリーが見えてくれば、他の業界で知恵のある人がもっといいことを思いつくかもしれない。コンピュータがスマートフォンとしてこんなに手軽に持ち運べるようになるなんて、20年前は想像もできなかった。同じように、水素社会も10年後20年後には、今から想像もできない広がりを見せているかもわからない。そう考えると、MIRAIを担当させてもらえたことは、私にとって無常のよろこびです。

最後にトヨタで働く魅力を、田中は次のように語ります。

トヨタという会社は大人しいイメージを持たれる方が多いかもしれませんが、実はいろいろなチャレンジをさせてもらえる会社です。私の経験から少しでもそう思っていただければ、幸いです。私の経験は特別なわけではなく、トヨタには誰にでも十分にチャレンジできるチャンスが用意されています。もちろんいい加減な気持ちで取り組むとこっぴどく怒られますが(笑)。背伸びをしながらも、純粋な気持ちで真剣にチャレンジしている人を応援してくれる、それがトヨタという会社の良さじゃないかと感じています。28年間経験してきた私に言える、ひとつの真実です。

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