違う次元で世界と勝負する-
プリウスの誕生に昂る気持ち

HVという新次元のクルマへの挑戦――。トヨタの中で初代プリウスの開発が動き出したのは1990年代前半のこと。赴任先の欧州で、大塚はそのニュースを初めて耳にした。

1994年から3年半駐在し、欧州マーケットに投入されたトヨタ車の評価や欧州車の情報収集に携わっていました。欧州では、アウトバーンから山岳道路、市街地まで、自分でステアリングを握って様々なクルマを走り込みました。そんな日々で改めて感じたのは欧州車の走りの凄さ。トヨタにもまだまだ挑戦すべきことがたくさんあると実感しましたね。しかし、同時にその時思ったのです。欧州車に追いつき追い越せは確かに重要ですが、人の後ろをただ追いかけているだけではつまらない。もっと違う次元で、トヨタらしい価値を見出して世界と勝負してみるのも面白いのではないか。初代プリウスの情報を聞いたのは、自分の中でそんなモヤモヤした気持ちが頭をもたげ始めた時期でした。トヨタのエンジニアたちの新しい挑戦を知って、気持ちが昂ったのを今でもはっきり憶えています。

「いつの日か、自分でクルマを企画してみたい」。その想いは学生の頃からの大塚の夢でした。電気系の専攻であるにもかかわらず、入社時に車両実験部を希望したのも、その夢への第一歩のため。実験評価という仕事でクルマ全体の基礎知識を学ぼうと考えたのです。

念願の“Z”に仲間入りし、HVに魅了される

車両実験部での濃密な9年間を経て、欧州で3年半。1998年に帰国すると製品企画本部に異動となり、大塚は夢に向かって大きく前進します。トヨタ内では“Z”の通称で呼ばれる、まさに新車企画の中枢を担うセクションです。

それは嬉しかったですよ。しかし、果たして自分が本当にやっていけるのだろうかという不安もありました。車両実験で経験を積んで生半可な設計エンジニアよりもずっとクルマには詳しいと自負していたのですが、“Z”のレベルはまったく次元が違う。目に見える部品の質感や部品同士の合わせといった細部の見栄えから、燃費や操縦安定性といったクルマの本質的な性能に至るまでクルマ全体にわたってもの凄いエネルギーを注ぐのです。その一つひとつのこだわりが、最終的に仕上がるクルマの商品力を底上げすることを肌で学びました。

初代プリウスがデビューしたのは約1年前の1997年のこと。大塚も初代エスティマHV、アルファードHVの製品企画で経験を積みます。製品企画の醍醐味を知るとともに、HVに魅了されたのもこの頃でした。

HVにはすぐに虜になりましたね。そもそもモータなんてこれまで私の世界にはなかったものですし、そのモータとエンジンというまったく特性が違うものが動力源として同居している。従来のクルマと較べると、HVは考えなければならないことが山ほどあるのですが、その分だけ開発の自由度も広く、やればやるだけ成果が見えてくる。エンジニアにとってはたまらない魅力です。HVに出会って、まさにクルマが未来に向けて変化する瞬間に立ち合っているんだ、自分たちでそれをつくっているんだ、という強烈な手ごたえを感じましたね。

2000名のエンジニアを率いる
開発統括者として

2003年、2代目プリウス、デビュー。そして次世代に向けた製品企画がスタートした2004年、大塚は3代目プリウスのプロジェクトに加わります。そして2007年には3代目プリウスの開発統括者に。入社以来ずっと抱き続けてきた大塚の想いがついに叶ったのです。

3代目プリウスの担当としてまず取り組んだのは明確なコンセプトを打ち立てることでした。HVのパイオニアであるトヨタのフラッグシップとして、プリウスが輝き続けるには何が大切なのか? まずひとつは「プリウス」というブランドです。お客様がプリウスに抱く、先駆的で未来を体現するイメージを継承し、さらに発展させなければなりません。もうひとつはトヨタのメインストリームを担っていくための「量産車」であるというテーマ。世界のより多くのお客様に乗っていただくためには、使い勝手などクルマとしての完成度も最高レベルが求められる。この「先駆けであること」と「量産車であること」という二律背反するテーマをいかに両立させるか。これが難しかったですね。

迷っているうちはプレッシャーもたいへんでしたが、コンセプトが明確になってからは気持ちも楽になりました。あとは目標に向かって突っ走るだけ。プリウスのプロジェクトは高い目標を掲げますが、エンジニアのモチベーションも高い。モチベーションを落とさないように配慮していればプロジェクトは自ずと前進していくのです。

そうはいっても総勢約2000名のエンジニアが関わる大プロジェクト。それを指揮するタスクは並大抵ではありません。大塚が挙げたキーワードは、「和の精神」でした。

HVというのは、多種多様な機能やシステムがお互いに複雑に干渉しながら動くクルマ。そのため、開発にはとても多くの部署が関わり合い、みんなが上手くコミュニケーションしながら最適解を見つけていかなければならない。そこで重要となるのが協調性。プリウスの開発統括者になって気づいたことのひとつに、HVの開発には、どうしても「和の精神」が必要になる、ということがあります。日本人がもつお互いを尊重するメンタリティこそがHV開発の鍵なのです。逆に言えば、プリウスは日本だからこそ、トヨタだからこそ世界に先駆けて量産化できたクルマなのだと改めて感じましたね。
もっとも厳しかったのは目標とする燃費をなかなか達成できなかった時期。掲げた目標の高さは、かつて誰も経験したことのない、文字通り人跡未踏の領域でした。そこにたどり着くために、パワートレーンの構造はもちろん、一点一点の部品の軽量化まで、ありとあらゆる挑戦を積み上げていくのです。燃費は普通、km/lという数値で示されますが、今回の開発ではそれこそリッターあたり数mという燃費削減のアイテムを100以上も積み上げて何度も何度も検証しました。38.0km/lという世界トップの燃費性能にはエンジニアたちの執念と叡智が凝縮されているのです。

エンジニアたちの飽くなき挑戦がついに実を結び、2009年5月、3代目プリウスがデビュー。マーケットの評価は大塚たちの期待を超えるほどに高く、2010年9月には全世界での累計販売台数が200万台を突破。世界のクルマのメインストリームを快走しています。

エンジニアの集大成として、
次世代プリウスへ

3代目プリウスの開発終了後、大塚は1年間ほど世界の主要な地域でお客様や販売店の声を聞き、プリウスの今後を考える期間を過ごしました。そして現在、4代目プリウスの開発統括者に就任して、「未来のクルマ」づくりに想いを馳せています。

これほどの量産車となったからといって、プリウスが大衆車を目指すという方向性は違う。プリウスはいつの時代でもプリウスであって、未来への先駆けでなくてはなりません。4代目はやっとコンセプトづくりが終わっていよいよ具現化しようというステップ。トヨタのエンジニアとしての集大成ととらえて、自分の作品を創るような意気込みで取り組んでいます。

最後にトヨタのエンジニアの魅力を、大塚は次のように語ります。

そもそもクルマって、エンジニアにとってとても幸せな商品だと思うのです。自分が開発した商品をお客様がどのように使って、どのように一緒に人生を過ごしているかを直に見ることができる。それだけに思い入れも強くなります。自分が製品企画として初めて担当したエスティマHVの最初の生産車が、トレーラーに積まれて工場から出る瞬間はジンと熱くなりました。休日に走っていても、プリウスに出会うとワクワクします。それを世界の道で味わえるのですから、こんな幸せなことはちょっと他にはないですよね。また開発の現場においても、できない理由を説明するのではなく、できることを持ち寄り上下の隔てなく技術論を戦わせる。そんなクルマ創りは本当にエンジニア冥利につきる仕事だと感じます。

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